精神障害者復権法の基本理念

当事者のニーズに反して

およそ「保健」とか「福祉」と称する法律であるならば、その対象となる当事者のニーズにどう応えるかが主題となるべきだろう。現在の「精神保健福祉法」を見る限り、当事者のニーズに反するばかりか、当事者の人権を著しく侵害する「収容管理法」と称すべきだといっても過言ではない。
当事者の基本的ニーズを簡潔にまとめるならば、
①、病を抱えながらも地域の人々とともに普通に暮らしたい、
②、病の辛さを癒したいの二点に整理できよう。

1.病を抱えながらも地域の人々とともに普通に暮らしたい

WHO(世界保健機関)の障害概念に従えば、多くの当事者は、「傷病」(impairment)の結果「能力不全」 (disability)に陥り、その結果孤独な生活、経済的窮乏、 住宅や就職難、偏見や差別などさまざまな社会的不利 (handicap)を蒙るという「障害者」(handicapped)として理解されるべきだろう。この面では社会的不利をどのようにケアするかが重要な課題である。

傷病から能力不全へ、その結果としての社会的不利というWHOの障害概念は、特に精神障害者の場合、しばしば逆の流れを示す。作業所に通うようになったら幻聴が聞こえなくなった、恋人ができたらヒステリーの発作が減少した、半年近く部屋に閉じこもっていたところへ気兼ねない友人がたずねてきて、いっしょに飯を食べたら元気を取り戻したといった例はしばしば聞かれる。

精神保健の先進地イタリア・トリエステでは、「病をケアするのではなく病を抱えている人をケアする。そうすれば結果として病は癒されるし精神病院は要らない」と語られている。

2.病の辛さを癒したい

強度の不安感に襲われたり、不眠症や幻聴、妄想にとりつかれたりしたときの辛さは言語に絶するものがある。しかしクレペリン以降の近代精神医学は長年の間「不可逆」論に侵され、疾病学に終始してきた。1930年代北米におけるソシアルワーク運動を背景にした社会的アプローチから人間関係論が台頭、1950年代には向精神薬の発達とも相俟 って生物的・心理的・社会的ケアで病は癒されるという考え方が世界の主流となり始めた。

しかしわが国では、病院への隔離収容という構造そのものが精神医学の発達を妨げ、投薬を重視した生物的ケアの考え方が根強く対症療法の域を脱し得ていないというのが実情である。最近一部従事者達の間で「病とうまく付き合う」ということがいわれるが、その論法から古典的な不可逆論や不適切な医療の現状を追認し自己満足に浸る響きが聞こえてくるのは容認しがたい。精神「病者」としての当事者が求めるのは、病の辛さを癒す適切な医療である。

3.戦慄を覚える精神保健福祉法

憲法25条は「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めている。精神障害の当事者が「病を抱えながらも地域の人々とともに普通に暮らしたい」「病の辛さを癒したい」と願うのは、腎臓や肝臓あるいは心臓に慢性的疾患を抱えている人、そしていつかは病を抱えるすべての高齢者達と同じように国民として願う普遍的な「権利」を求めているに過ぎない。

しかし国や従事者の立場や都合からではなく当事者のニーズという視点から見ると精神保健福祉法がいかに当事者の人権を無視し、反医学的な代物であるか、恐らく戦慄をすら覚えるのではないだろうか。

さらに憲法25条はその第2項で、「国はすべての生活部面において、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と定めている。すなわち第1項の権利を保証するために社会福祉等の努力を国の義務としているのである。しかるに「精神保健福祉法」では国によるケアを明確にせぬまま、作業所の運営一つをとっても家族に負担を求め、保護監督の責めをも負わすといった過酷な処遇を強いているのである。

4.後を絶たない不祥事件

当事者のニーズに反した国の施策が現実の当事者の処遇にどのような形で示されているのか。
宇都宮病院事件が表面化した後も、最近の大和川病院事件にいたるまで、病院関係者による不祥事件が後を絶たない。診療費の不正請求は日常茶飯事といってよく、傷害致 死、横領、詐欺などおよそ刑法の大半に触れる不法行為が横行する。さらに患者の名を呼び捨てにしたり、上から見下す口のききかたなど患者の人格を蔑視するような扱いは「良心的」といわれる病院ですら決して珍しくない。

強権的な法制はしばしば法が予定した以上の威力を発揮する。精神保健福祉法によって隔離収容の構造が形成されている精神保健の現場では歯止めが利かない事態が生じているのも不思議ではない。

5.医療なき薬漬けの長期拘禁 

生物的・心理的・社会的角度から暮らしをケアしていくという視点の欠落している日本では、そもそも真の意味の「医療」が存在しない。大量の投薬によってひたすら症状を抑制するのみで、長期間にわたって拘禁するか入退院を繰り返すかの選択が残されているだけである。
ようやく減少傾向を示し始めたとはいえ、いまだに入院期間の平均は450 日に達し、約60%の人々が閉鎖病棟に収容されている。

薬漬けの長期拘禁は廃用性萎縮症候群などさまざまな合併症を生じ、能力不全を生じる。のみならず全般的な生命力低下によって、長寿社会だというのに40代、50代で生涯を閉じる人が実に多い。HIVと異なり精神障害者の問題は生死にかかわらないから緊急性に乏しいという見方があるが事態は猶予できない問題を含んでいるのである。

6.世界の趨勢との隔たり

ケネディ米大統領が改革が遅きに失したことを陳謝し、精神病院解体の計画を教書で示したのは1963年である。病院の解体は1970年代にかけて計画をはるかに上回るスピードで進み、改革の嵐は北米、欧州へと波及した。日本ではその時期精神病院の建設ラッシュが始まっていた。

日本と同じ文明の形態をとる国の中では、日本の35万床という精神病床数は人口当たりにして抜きんでて多い。精神病院を廃止したイタリアやスペインを除き、およそ5倍から10倍にのぼっている。

1996年、世界の趨勢に遅れること半世紀にして、「らい予防法」が廃止された。精神障害者に対する処遇もこれに匹敵する立ち遅れを示しているといえよう。

7.追及されるべき国と業界の責任

35万人もの人々が薬付けの長期拘禁を強いられ、巷では地域ケアが乏しいまま孤独な生活の中でさ迷っている。かかる事態を招いたのは病のためでも病者のためでもない。 世界の趨勢に反して隔離収容政策を推進してきた国とそれに追随し、時には圧力をかけてきた業界の責任である。この責任を追及してこそ精神保健福祉法の歪さも明白になるだろう。

Ⅱ、当事者の権利を奪う精神保健福祉法

「精神保健福祉法」を初めて目にする人は、ほとんどの人がまず驚く。その内容が題名とあまりにも似つかわしくないからである。「精神障害者管理収容法」と名付けたほうがふさわしいのではないかと、やがて気がつく。
次に驚くのは「障害者」の保健福祉のための法律ならば、当事者の権利を擁護し、暮らしや健康を維持する意図に満ちたものというイメージが打ち破られてしまうことである。実態は強権的に管理し、人権を著しく侵害する法律である。

1.病院医療を頂点とする構造

精神障害者も健常者といわれる人々と同じく、まず地域で普通に暮らす権利を保証されていて、症状が悪化したとき病院で適切な医療を受けるものと考えるべきだろう。しかし精神保健福祉法では、発想はまるで逆である。

「この法律は、精神障害者等の医療及び保護を行い、その社会復帰促進及びその自立と社会経済活動への参加の促進のために必要な援助を行い……」(1条)、同様の趣旨は2条(国及び地方公共団体の義務)、3 条(国民の義務)、4 条(精神障害者等の社会復帰、自立及び社会参加への援助)でも繰り返し定められている。

本来すべての人々は地域にあってともに暮らし、病状が悪化した時に入院加療するべきものであろう。しかるにここでは、精神障害者はまず精神病院に収容されるべきものとして認識され、状況によって社会復帰、自立、社会参加へと階段状に「ろ過」されるべきものと扱われている。

2.強制医療(収容)の構造

精神保健福祉法は国民の義務として、「国民は、精神的健康の保持及び増進に努める……」(3 条)ことを定めている。人間はいつしか病む。病の辛さを癒したいという願いは当然としても、健康の保持を義務付けられたらたまったものではない。

27条(申請に基づき行われる指定医の診察等)による強制診察をベースにした29条~31条(都道府県知事による入院措置等)と33条~35条(医療保護入院等)による医療の強制(収容)を定めている。しかも義務違反に対する規制は39条(無断退去者に対する処置)、55条、57条(診察拒 否等に対する罰則)と厳しい。
一方、「告知同意」(インフォームド・コンセント)については22条の4、29条、33条の3でそれぞれ任意入院、措置入院、医療保護入院の場合の書面による告知を定めているが、「同意」に関しては一切触れていない。

3.任意入院の実体

精神衛生法が精神保健法へ改正されたとき大いに喧伝されたのが「任意入院」制度の導入である。本来入院は自由であるべきで改めて規定するまでもない。精神障害者をす べて一般医療と切り離し、精神保健福祉法のもとで包括的に管理しようとするもので、「……精神病院の管理者は、指定医による診察の結果、当該任意入院者の医療及び保護のため入院を継続する必要があると認めたときは、……72時間を限り、その者を退院させないことができ る……」(22条の4 )などに本意は明確といえよう。
現に任意入院者が全体の40%を占めているというのに閉鎖病棟に収容されている人が60%におよんでいる。

4.拘禁医療(収容)の構造

強制入院と対応して精神保健福祉法は当然のことながら拘禁医療(収容)を原則としている。処遇の基準について、「精神病院の管理者は、入院中の者につき、その医療又は保護に欠くことのできない限度において、その行動について必要な制限を行うことができる」(36条第1項)とし、例外として「……前項の規定にかかわらず信書の発受の制限、都道府県その他の行政機関の職員との面会の制限その他の行動の制限であって、厚生大臣があらかじめ公衆 衛生審議会の意見を聴いて定める行動の制限については、これを行うことができない」(36条第2項)としている。
仮に処遇について制限を要するとしても法律上は自由な処遇を原則とすべきで、制限事項は省令等に委ねるのではなく法律の中で具体的に定めるべきであろう。

5.当事者・家族の分断

「精神障害者については、その後見人、配偶者、親権を行う者及び扶養義務者が保護者となる。……」(20条第1項)とし、「保護者は、精神障害者に治療をうけさせるとともに、精神障害者が自身を傷つけ又は他人に害を及ぶばさないように監督し、かつ、精神障害者の財産上の利益を保護しなければならない」(22条第1項)、「保護者は、精神障害者の診断が正しく行われるよう医師に協力しなければならない」(22条第2 項)、「保護者は、精神障害者に医療を受けさせるに当たっては、医師の指示に従わなければならない」(22条第3項)として、家族に対してさまざまな保護、監督の義務を背負わせている。

さらに「精神病院の管理者は、指定医による診察の結果、精神障害者であり、かつ、医療及び保護のため入院が必要であると認めた者につき、保護者の同意があるときは、本人の同意がなくてもその者を入院させることができる」(33条第1項)、「精神病院の管理者は、指定医の診察の結果、精神障害者の疑いがあってその診断に相当の時日を要すると認める者を、その後見人、配偶者又は親権を行う者その他その扶養義務者の同意がある場合には、本人の同意がなくても、1週間を越えない期間、仮に精神病院へ入院させることができる」(34条)としているが、当事者と家族の関係を分断する以外の何物でもない。憲法25条の国による社会福祉の責任を放棄しているばかりでなく、病を癒すうえで必要な当事者と家族の自律的関係と愛の絆の形成を妨げるものである。

6.粗末な保健・福祉

精神衛生法に対する批判をかわすと同時に、保健・福祉を病院医療に従属させるために度重なる「改正」を行い、今日の精神保健福祉法にいたっている。そのため「保健」「福祉」に関する規定は粗末きわまりない。

1)「保健」「福祉」の中に医療的役割が含まれているという地域ケアの概念はどこにも見当たらず、医療は病院医療と同義語化されている。したがって総合病院の救急精神科やクリニックの果たす役割もほとんど無視され、精神保健相談員についても「都道府県等は、精神保健福祉センター及び保健所に、精神保健及び精神障害者の福 祉に関する相談に応じ、並びに精神障害者及びその家族等を訪問して必要な指導を行うための職員を置くことができる」(48条)として配置を義務化していない。
2)精神障害者の社会復帰施設についても、「都道府県は、精神障害者の社会復帰の促進及び自立と社会経済活動への参加の促進を図るため、精神障害者社会復帰施設を設置することができる」(50条)として財源の裏付けのないまま都道府県(及び市町村、社会福祉法人等)に押し付ける一方、義務化を避けている。

3)精神障害者社会復帰施設の種類は、「……1.精神障害者生活訓練施設、 2.精神障害者授産施設、3.精神障害者福祉ホーム、4.精神障害者福祉工場」(50条の2 )とするほか、「……精神障害者地域生活援助事業(地域において共同生活を営むのに支障のない精神障害者につき、これらの者が共同生活を営むべき住居において食事の提供、相談その他の日常生活上の援助を行う事業をいう。以下同じ。)を行うことができる」(50条の3 )としているのみである。

量的な貧弱さだけではない。障害者プランで示された支援センターも含めすべて心身障害者施設を横並びにコピーしたにすぎない。35万人の人々が解放されるために必要なのは大量のケア付き共同住宅であり、堪え難い疎外感から解放されるために必要なのは自主的に人間関係を選択できる触れ合いや出会いの場としての溜まり場やクラブハウスである。

4)精神保健福祉法ができ、障害者プランが設定されてから、ますます明白になってきたのは「社会復帰施設」の運営主体について、厚生省が「法人格を有する民間団体」すなわち医療法人に多くを期待していることである。社会復帰施設の設置は遅々として進まないが、それでも陽の目を見た施設の大半は精神病院の敷地内や隣接地に設けられ、コロニー化の様相を呈している。精神病院を核としたコロニー化が偏見や差別を助長し、他律的な人間関係の中で孤独な世界へ追い込んで行くことを厚生省はなぜ理解しないのだろうか。

7.公正さを欠く審議会・審査会

地方精神保健福祉審議会および精神医療審査会も国の内外から厳しい批判にさらされている。特に従事者偏重と当事者軽視の傾向および知事による任命制という非民主的な選定方法は見逃せない。

1)地方精神保健福祉審議会(9条)は国連の決議に反して当事者の参加が皆無に等しく、医師等従事者が多くを占めて公正さを欠いている。そのためか開催頻度も著しく少なく形骸化しているといっても過言ではない。厚生省の中央公衆衛生審議会精神部会についても同様のことが指摘できよう。
2)精神医療審査会(10条)にいたっては、医師の医療行為について審査するというのに、大半は医療関係者で占められている。その弊害は審査の結果退院の認められるケースがごく一部という事態が示しているといえよう。

Ⅲ、隔離収容の歴史と現状

精神保健福祉法の内容をより深く解明し、その役割を問うためには、精神保健福祉法が成立してきた歴史的背景(別表1 参照)とその結果もたらされている精神障害者の悲惨な現状について触れなければならないだろう。

1.医療の肥大化と患者の増加 

「精神病者監護法」(1900年)によって自宅の小屋や座敷牢に監置されていた時代の惨状は、呉秀三が報告した通りである。しかしここで注目しておくべきは、今世紀前半の閉鎖的な時代環境の中でも、当事者の隔離収容のスケールという点では、今日の35万人収容という体制には遠く及んでいなかったということである。

「精神衛生法」(1950年)を審議した国会議事録などによると入院患者が2万人、自宅監置の人は2,671 人にすぎない。現在なら即入院とされそうな人達が村や町を歩く姿 も決して珍しくなかった。皮肉なことに「医学の進歩」が「病者と健常者の区分」に道を開き、「医療」の名による隔離収容を可能ならしめたといえよう。

  別表1.過酷な処遇を強いてきた国の施策

1900
 精神病者監護法、自宅監置
1918
 呉秀三「精神病者私宅監置の実況」、第一次世界大戦終結
1919
 精神病院法
1945
 第二次世界大戦終結
1946
 日本国憲法
1950
 精神衛生法。病院への隔離収容、朝鮮戦争勃発
1952
 「生産阻害因子」キャンペーン
1954
 精神障害者実態調査
1958
 「特殊病院 1/3基準」通達
1960 
 国民所得倍増計画 貿易為替自由化計画 国民皆保険 医療金融公庫
1961
 経済措置入院
1963
 ケネディ教書
1964
 ライシャワー事件
1965
 精神衛生法改正
1984
 宇都宮病院事件
1985
 ICJ(国際法律家協会)第1回調査
1988
 精神保健法………新管理体制、ICJ第2回調査
1990
 「処遇困難者」調査報告
1991
 「精神病者の保護および精神保健ケアの改善」に関する国連総会決議
1992
 ICJ第3回調査
1994
 障害者基本法
1995
 精神保健福祉法………医療による福祉取り込み
1996
 障害者プラン

2.正常な社会生活を破壊する危険者
「この法案は、いやしくも正常な社会生活を破壊する危険のある精神障害者全般をつかむことといたしました」。
「精神衛生法」の提案者の一人である中山壽彦議員は提案理由をこう説明した。当時の「精神病者の推定数は 64万人、精神薄弱者および精神病質者を加えた精神障害者の数 は334 万人ないし400 万人に及ぶ」とし、「長期にわたって自由を拘束する必要のある精神障害者は、精神病院または精神病室に収容することを原則といたしました」と述べている(第7 回衆議院厚生委員会議録第22号)。

すでに「精神衛生法」はその成立当初から、精神障害者を危険視する保安思想を体現していたのであり、その後のさまざまな改正によってもその骨格は変わっていない。なお「精神衛生法」の草案は、設立間もない日本精神病院協会の植松七九郎、金子準二によってまとめられたという。隔離収容の本格化過程で国と精神病院業界の癒着と相互依存関係が強化されていくのを予測させるに足るいきさつだったといえよう。

        
   別表2 精神病床の変遷 >

年 度
総人口(万人)
精神病床数 
万人対病床 
年平均入院者数
入院率(%)
1950
8,320
19,978
2.40
17,311
86.7
1955
8,928
44,250
4.96
44,682
111.1
1960
9,342
94,810
10.18
172,950
106.2
1965
9,828
95,067
17.60
177,121
108.0
1970
10,372
247,265
23.84
252,524
104.3
1975
11,194
278,123
24.85
280,549
101.8
1980
11,706
308,554
26.36
311,655
102.4
1985
12,105
334,589
27.64
340,023
101.6
1990
12,361
359,087
29.05
348,500
97.1
1991
12,404
360,905
29.09
349,215
96.8
1992
12,445
361,982
29.09
347,056
95.9
1993
12,476
362,436
29.05
344,230
94.7
1994
12,503
362,847
29.02
343,254
94.6
1995
12,557
361,714
29.24
341,357
94.3
1996
12,586

 

3.生産阻害因子キャンペーン

「精神衛生法」成立後厚生省はその波及効果を上げるべく躍起となったが、これまで犯罪との関係で「危険因子」として精神障害者をとらえてきたのに加え、1952年には経済的損失との関連で「生産阻害因子」とのキャンペーンを展開し始めた。「放火殺人による年34億円と推計される損失中、精神障害者によるものが約26億円にあがる」とし、「生産離脱者とこれらの保護にあたる家族の生産離脱をこれに加えるならば、精神障害者のために社会は、年々1,000 億円を下らない額の生産を阻害されている」(厚生省公衆衛生局「わが国の精神衛生の現状並びに問題点」)としたのである。

4.高度成長のための隔離収容

精神障害者実態調査(1954年)、「特殊病院 1/3基準」通達(1958年)、国民皆保険と医療金融公庫(1960年)などの条件整備を進めてきた精神障害者の隔離収容政策は、1960年の「国民所得倍増計画」によっていよいよ本格化した。
60年安保で岸内閣が倒れた後登場した池田内閣は、日本経済の高度成長と国際化をかかげて、同年「国民所得倍増計画」と「貿易為替自由化計画大綱」を策定した。その倍増計画の中で、「所得倍増計画にともなって生ずる大幅な労働力の産業間移動、特に農業人口の大規模な移動を促進し、農工間の所得不均衡を是正する上において、社会保障の果す構造改善的役割を看過することはできない」とし、そのためには「結核、精神病のように多額の治療費を要するものに対する公費負担制度について格別の措置がとられなければならない」としたのである。

太平洋ベルト地帯への労働力の移動は、農村の「余剰」労働力と石炭から石油へのエネルギー転換を軸にした産業 構造の変化によってすさまじい勢いで進み、取り残された精神障害者は乱立し始めた精神病院に次々と収容された。いまなお九州・沖縄や北海道・東北地方で人口当たり精神病床数が多いのはその名残りでもある。

5.強化された病院頂点の構造

1961年の経済措置入院により収容政策が一段と強化された。さらにライシャワー事件(1964年)を契機に隔離収容論が加速し、1965年には地域管理の整備、措置入院の強化等を織り込んだ法「改正」が行われた。高度成長期という時代背景の勢いも加わり、隔離収容という法体系に対する批判の声は以後20年近く沈滞化した。社会復帰論等が台頭しつつも、その多くは現体系を補完する域を出ていない。
むしろ宇都宮病院事件(1984年)をきっかけに内外から厳しい批判を浴びたにもかかわらず、「精神保健法」(1988年)や「精神保健福祉法」(1995年)への改正では、地域ケア論を矮小化した社会復帰施設導入でかわしつつ、福祉を医療へ取り込むことで、病院頂点の精神保健構造を強化したともいえよう。

Ⅳ、精神障害者復権法の基本理念

精神病院への大量の隔離収容や人権侵害などさまざまな不祥事件、医療の荒廃、地域ケアの不足、家族への負担など山積する難題も、精神保健福祉法の撤廃なくしては解決の展望は開けないだろう。
いうまでもなく精神保健福祉法の撤廃だけで事は解決しない。精神病院にいる35万人の人々や地域でさ迷っている人々を路頭に迷わせたり、窮地に追い込んだりしてはならない。「精神障害者復権(援護)法」を制定し、当事者のニーズに対応して権利の回復に万全を期すことこそ国の果すべき責任である。
2000年に精神保健福祉法を撤廃し、精神障害者復権(援護)法を制定する(2001年から施行)。精神保健福祉法によって国が侵した誤りを明確にするためにも、現行法は「改正」ではなく「撤廃」をし、新たに精神障害者復権(援護)法を制定するべきであろう。
精神障害者に対する人権侵害と過酷な処遇の構造は、緊急に解決すべき特殊な課題である。障害者総合福祉法あるいは社会保障法への一元化はこの課題を解決した後に検討されるべきだろう。障害者基本法によって精神障害者が心身障害者とともに障害者として位置付けられたことは評価できるとしても、具体的ニーズは余りにも違い過ぎる。仮に双方を満たそうとしても中身が薄められることは明白である。家族による成人精神障害者に対する免責、単科精神病院の公営化、医療と福祉の財政一元化、精神保健行政の抜本的改革など精神障害者の復権を図るためには、民法や医療法など現行関連法規との調整は困難をきわめる。したがってこれらを超越する特別措置として精神障害者復権(援護)法は2020年までに限定した時限法規として制定されるべきだろう。

1.すべての精神障害者が地域の人々とともに普通に暮らし、適切な医療を受ける権利を保障する。

憲法が定めた生存権とその保証を具現化したものとしてすべての障害者やいつかは病める日を迎える高齢者に光明を与えるだろう。

2.永年にわたり国および精神医療関係者が精神障害者に対し過酷な処遇を強いてきた事実を反省し、精神障害者の復権を図るために格別の配慮を払う。

関連法規を越えた特別立法や地域ケアのための初年度国費1,000 億円投入など具体的な復権措置こそ、明確な謝罪の証しである。

3.精神障害者の復権を図ることは、価値観の多様性とすべての人々の尊厳を受容する心豊かな地域社会を築くために、すべての市民が共有すべき課題である。

心の病の根源にある一体幻想に基づく疎外感から解き放たれ、真の絆で結ばれた地域社会でこそ精神障害者の復権は実現するだろう。

4.精神障害者の復権とケアの充実を図るにあたっては、精神障害者自身の声を民主的な手続きのもとで十分に反映させるよう配慮し、精神保健機構を設置する。

国連の原則は障害者に関する施策に障害者自身の参加を求めているが、これは行政全般に求められている課題でもある。後述する精神保健機構(本稿�参照)が、その先駆けとなることを期待したい。

5.病院医療中心から地域ケアへの転換を図るために、精神保健基金を設置し、医療と福祉の財源を一元化する。

厚生省の説明によると現在精神医療費は年間1 兆7,000億円に及び、入院者1人当たり400 万円、デイケア利用者200 万円を要するという。現在精神医療と保健、福祉に要している各種保険を含めた公的財源を精神保健基金(本稿�参照)にプールし、病院医療から地域ケアへと転換していくならば、財政的には決して困難ではない。

6,ケアは精神障害者のニーズに対応するために行うものであって、利用を義務化してはならない。

義務化は人権抑圧に通じるだけでなく精神障害者の心の世界を閉鎖することともなる。ケアの利用に関しても自由な選択に基づいた主体的な人間関係への参加は至上の命題である。

7.2021年以後は総合的な社会福祉施策の中に統合を図るが、精神障害者の権利確保とケアの水準を低下させるものであってはならない。

2020年の目標が達成されたとき、精神障害者の生きざまは大きく変わっているだろうし、具体的な施策のありようはその世代に委ねるべきであろう。

8.すべての欠格条項を廃止し、差別行為については罰則を設けて一切禁止する。

国は自ら障害者なかんずく精神障害者に関し膨大な欠格条項を設け差別を進めてきた。本来何らかの障害があったとき就業等を禁止するのは全く意味がなく、就業困難な状況をどう克服していくかというほうが重要な課題である。

9.精神障害者の生活を保障するために障害年金の見直しと生活保護に特例を設ける。

障害年金あるいは生活保護の受給者の多くはぎりぎりの困窮状態の生活を強いられ、その窮状が再び入院の引き金となったり退院を遅らせるという例が少なくない。障害加算を増額して対象範囲を拡大し、家族の扶養余力の有無にかかわらず生活保護の住宅扶助相当額を支給する。

10.家族は精神障害者の権利擁護者であり、成人のケアについては責任を除外する。

家族に保護監督の責任を負わすことは家族間の緊張関係を増幅し、病を悪化こそせよ癒しにはつながらない。少なくとも成人の精神障害者については、ケアの責任を免除し互いに自律した関係の中で家族の絆が形成されることを期待したい。

11. 精神保健に関する情報は最大限公開する一方、当事者の私的情報に関しては当事者の権利擁護の場合を除き、罰則を設けて守秘義務を厳守せしめる。

精神病院における不祥事件をはじめ精神障害者に対する人権侵害は秘密のベールに隠され、表面化するのは限られた内部告発によって氷山の一角が頭を出す場合にとどまってきた。情報公開を徹底すると同時に、個人情報の他目的利用など厳しく禁じるべきだろう

12. 2001年にすべての精神病棟および付帯施設を地方精神保健機構の管理下におく。

精神障害者抑圧の主軸をなしてきた民間精神病院は歴史の舞台から去るべき時がきた。精神保健機構の監督下で運営されるクリニックと総合病院救急精神科を除き私的な医 療機関は廃止されるべきである。本来医療というのは著しく公益性の高い分野であり、公共の福祉のために私権が制限されるのは当然といえよう。